<善良に生きれば敵ができる>この言葉は、私の一生の疑問であり、人間関係の難しさである、と思います。

<善良に生きれば敵ができる>この言葉は、私の一生の疑問であり、人間関係の難しさである、と思います。

小学生の頃から学校では「正直に生きなさい」と毎日のように語られる。子どもたちは、まじめに学校でやればやるほど、いじめを受ける?

大人たちは、子どものいじめは、世の中を写しているという。→子どもには理解できない。

子どもは家庭の会話の中で日々の言動を決めて行く。

真面目にやる子がいじめられる?

そんな風景を学校で見た記憶を持つ人は多いと思います。

私は、先週の日曜日に、人吉市で被害を受けた先輩に差し入れを持って行く途中で、二つの経験をしました。

一つは、人吉へ向かう松橋インターチェンジ前のコンビニでの会話から、

建築現場の作業員の若い男性が、私が弁当を温めてもらっている時。ジュースとタバコを買われました。プリペイドカードを出して、店員に、
「チャージされますか?」と聞かれ、
「待っておられるから、いいよ」と、
計算が終わり、一言
「あっ、まだ残っていてよかった」と言葉を聞き、昼食時、高速の前のコンビニや忙しい中、心温まる思いをしました。

もう一つは、人吉へ向かう高速道路での日本人の対応から、

(以下、Facebookのの本日の私のコメントから転載)

>それは、山江パーキングで(えびのインターチェンジで行って戻るを)思い付きました。でも、この渋滞に付き合うことは意味があると思い1時間半ノロノロですが、日本人の列を守る、自衛隊や電気復旧工事作業の方々が、入る時にサッと開ける風景を見ていました。日本人は、素晴らしいとつくづく思う場面に、"この渋滞を誇りに思う"と、気持ち豊かになりました。(中略)

日本人の危機に対する姿勢に、感動しました。

しかし、真面目に生きるほど、地域では敵ができるのです。

トルストイは、以下のことを語っています。

「敵は常にあるだろう。敵がないように生きることはできない。それどころではない、善良な生き方をすればするほど敵は多い」〜トルストイ〜

エッ?

真面目に生きれば、敵ができる。

真面目すぎたらいけない、の訓示なのか、それとも、妬みの予防策か?

人は何をしても、動きで反応する人が、必ずいることを忘れてはいけない、ということだと思います。

人間社会は、善良に生きれば敵ができる。

でも、私は、人を疑わず、最善の予防線を張って、生きなければと思った今日の体験でした。

*参加資料:『人生の指針が見つかる「座右の銘」1300』

<"仁"の志>家族もこの世の出会いです。

<"仁"の志>家族もこの世の出会いです。昨今、家族内暴力、とくにDVなどは男性として恥ずかしい行為。さらにひどく、親が子を殺す育児放棄、子が親を殺す親不孝、そんな事件が増えているように思います。

論語の教えに「仁」がありますが、相手を思いやる、厳しい状況の人を助ける、小さな命を愛おしむ、哀れむこととは少し違う孔子の教えです。

家庭内も、職場も、仲間たちも、互いに補い合い日々を過ごしています。相手を思いやる「仁」の志を持って、謙虚さを持って生活すれば、社会は良くなると思います。

災害ボランティア活動も「仁」の志と思います。週末、雨は気になりますが、被災地へ出向こうかと考えています。

<政治とは何か>川辺川ダム中止から10年、治水議論(空欄)はありました(会議無し?)から、球磨川水害対策は何もされなかった!〜

<政治とは何か>川辺川ダム中止から10年、治水議論(空欄)はありました(会議無し?)から、球磨川水害対策は何もされなかった!〜残念でなりません。県知事選挙こそ地域課題を議論する機会と思います〜

川辺川ダムを討論した潮谷県政が終わり次期県政を担う知事選から12年、環境保護論議から川辺川ダム中止を、蒲島知事は決断されました。今春の熊本県知事選挙では、コロナ、コロナで、選挙戦も、政策提言もなく、論争無く終わりました。

熊本は、水俣病と川辺川ダム(球磨川治水・利水)が、過去40年の政治課題なのに、両候補の議論がありませんでした。とても悲しい、と選挙直後にFacebookにコメントを掲載しました。

現知事は、荒瀬ダムは解体されました。それから、川辺川、球磨川治水・利水は?

何もなかった!(怒り)

ならば、球磨川治水と河辺川ダム中止、熊本県知事が常に緊張感を持ってやられてきたのか?

疑問に思っています。

人吉の市民活動仲間たちの家々は、1階が水没、ひどいところは2階窓まで泥水が来た!と。

政治は危機管理、何を首長が目指しているのか、今後の検証から、リーダーの政治理念が問われると思います。

政争の中身が大事、政治家目指す姿を、住民、特に河辺川、人吉球磨の人たちとは無縁の論議に、時間を使われ過ぎのだと思います。

政治危機管理が、西郷隆盛が目指していた政治、しかし今の政治は西郷隆盛の理念(質素倹約、敬天愛人)から大きく離れているように思います。

熊本県政は、今どうか?

今回の球磨川氾濫、県民の視点変えるくらい大きな水害と思います。

私は、県民の中に"選挙はない方が良い"という意見を聞きますが、選挙ない地域こそ問題と思っています。政治課題に関心がないところこそ選挙に興味が無い。

日本の課題です。

河辺川ダム中止から10年、治水議論(空欄)はありましたが、球磨川水害対策は何もされなかった!

川辺川ダム中止から10年、治水議論(空欄)はありましたが、球磨川水害対策は何もされなかった!

河辺川ダムを討論した潮谷県政が終わり次期県政を担う知事選から12年、環境保護論議から河辺川ダム中止を、蒲島知事は決断されました。今春の熊本県知事選挙では、コロナ、コロナで、選挙線も、政策提言もなく、終わりました。

熊本は、水俣病と河辺川ダム(球磨川治水・利水)が、過去40年の政治課題なのに、両候補の議論がありませんでした。

荒瀬ダムは解体されました。

ならば、球磨川治水と河辺川ダム中止、熊本県知事が常に緊張感を持ってやられてきたのか?

疑問に思っています。

人吉の市民活動仲間たちの家々は、1階が水没、ひどいところは2階窓まで泥水が来た!と。

政治は危機管理、何を首長が目指しているのか、今後の検証から、リーダーの政治理念が問われると思います。

<ボランティア活動>自分の悪は顕微鏡的に検証、他人の善は望遠鏡的に検証、逆に、他人の善は顕微鏡的に見つけ、他人の悪は望遠鏡的に探す。

<ボランティア活動>自分の悪は顕微鏡的に検証、他人の善は望遠鏡的に検証、逆に、他人の善は顕微鏡的に見つけ、他人の悪は望遠鏡的に探す。

(長文です。お時間ある時にお読みください)

毎日の雨、梅雨末期の大雨被害は、いつ起こるかわかりませんので、降る地域になった時は、とにかく早めの避難行動が大事です。

今また、外の雨が強くなってきました。ちょっと心配な、本日の天気です。

さて、被害はあってはなりませんが、土曜日の熊本県南部の大雨被害は、50人を超える犠牲者と広範囲に計り知れない被害をもたらしました。

洪水被害は、後始末が大変で、私自身も被害を受け、積もった泥を搬出するための泥のかき出しは、真夏暑さもあり大変な作業で、多くの人手を必要とします。

何度か泥出し作業のボランティアに参加しましたが、全国各地からボランティアが集まり、黙々と作業をされます。ほんとに頭が下がります。4年前の我が家の泥出しは、ボランティア4〜6人、5日間かかりました。

このボランティア活動について、色々な声を聞きます。私は、何日も行けるわけではないですが、泥出しのボランティア活動に行った時、そのお宅の状況写真や作業風景の写真は、けっして撮影しません。撮るのは、作業を終えてボランティアセンターに帰った時、グループに参加された方に了解を得て記念写真を撮ります。

中には、グループできて、作業風景を互いに撮り合い、SNSにアップしている人たちを見ると、"私はボランティアに来てます!"と語っているのだろう、と思ったりもします。それについてどうこうは言いませんが、被災者からすれば、どんな印象に映るだろうと考えたりします。

でも、ボランティア活動に興味ない人からすれば、ボランティア=善との見方をすれば、社会貢献することになると思います。

東日本大震災の支援物資集めをし始めた時、ある先輩から、「やらない人たちからは、宣伝と思われてもいいじゃないか、我々は"被災地のために何かやりたい"の思いでやっている。人の影口を気にしないでやろう」と後押しされ、九州から一番早く現地へ物資とボランティアを送り出しました。

本『人生の指針が見つかる「座右の銘」1300』に以下の言葉がありました。

(以下、本より転載)

他の善と自の悪とは、顕微鏡にて之を見よ。そのいかに大なるかを感ずべし。
他の悪と自の善とは、望遠鏡にて之を見よ。そのいかに小なるかを感ずべし。
(以上、清沢満之(作家))

自の悪とほ、下心も含む私欲(悪)を指すものと受け止めます。他の善とは、周りの人の何気ない心遣いに嬉しくなることも含みます。

顕微鏡、望遠鏡、の視点に、"なるほど!"と、納得しました。

私は、人の噂をしている姿は好きではありません。事実を語る、事実を評価する。人は行動してなんぼだと思いますので、時間があれば、これからも積極的に、被災地へボランティア活動に行きたいと思っています。

でも、被災地の状況が、さらに悪化しないことを願っています。お亡くなりになった皆様のご冥福をお祈りいたします。(合掌)

<早起きは三文の得>朝こそすべて。〜『安岡正篤一日一言』〜

<早起きは三文の得>朝こそすべて。〜『安岡正篤一日一言』〜

短い言葉ですが、中身は深い歴史的経験値から出たものに、感動します。

>1日24時間朝があり昼があり夜があるとするのは死んだ機械の一日にすぎない。活きた時間は朝だけ、換言すれば、本当の朝をもたなければ一日無意義だということだ。朝を活かすことから人生は始まる。
(以上、『安岡正篤一日一言』7月2日の訓示より)

8月4日は朝ウォーキングを始めた記念日。もう丸8年になります。ほんとに最初は、3.5kmでした。それから、その年の11月29日〜12月2日『薩長同盟ウォーク500キロ』熊本ステージ、熊本県の田浦駅(肥薩オレンジ鉄道)から熊本駅まで92kmことを目標に4ヶ月ちかく"歩く練習"に取り組みました。ほぼ毎日歩く練習をして本番に臨みました。

4日間歩く中、長距離ウォーカーの先輩方から、
「毎日歩いてはダメ、週休3日くらいがいい」
「私(女性)は、行橋別府100キロウォークに還暦ときこそ歩き20時間で歩いた」
「歩く前は、薬ばかり飲んでいたが、今は一つも薬を飲まず、検査の数値は標準になった」
等々、歩くコツ、目標、健康まで、話がたくさん聞けました。

歩く練習は「週休3日制」、これを聞いて決めたのが、
1.雨の日は歩かない
2.飲み会があった翌日は歩かない
3.早足で10kmウォーキングを年間200日
このルールをきめてから、とても楽になり、毎日4時起きなので、歩かない日は、ラジオ聴きと読書をするようになりました。

朝4時〜6時半、いろいろことを考え、本を読む。新たに買って読むことも大事ですが、私は、毎年読む本、日常的に持ち歩く本がありますので、枕元には常に本が転がっています。

私は小説はほとんど読みません。それこそ、司馬遼太郎さんの小説は、龍馬以外読んでいませんが、司馬さんの講演集、対談集は、かなり集めています。

私の朝活は、ウォーキングか読書、たまに原稿を書いています。安岡正篤先生の語られる「朝こそすべて」だなぁ、とつくづく思います。さすが、安岡正篤先生の教示は素晴らしい!

<他力の風>私は10年付き合ってから仕事を一緒します。20年経ったら本物かと思います。〜人生は出会い〜

<他力の風>私は10年付き合ってから仕事を一緒します。20年経ったら本物かと思います。〜人生は出会い〜

建築を始めて40年、市民活動始めて30年、異業種交流会始めて25年、宇土市で地域づくりに関わって20年、サッカー協会の役員になって15年、市議になって10年、朝の登校指導始めて5年、次はなんでしょうか?

実は、建築の専門学校入学が22歳、結婚が27時、独立が32歳(実際は31歳5ヶ月)、同業種交流は37歳(後の異業種交流会「四季の会」、熊本横井小楠塾、熊本大学非常勤講師「実践のまちづくり講座」が始まったのが42歳、キッズサッカー教室(後の宇土マリーナジュニアサッカー大会)が始まった。そして、52歳で市議会議員に初挑戦。

五年ごとの出来事に、多くの方々か関わっています。見方を変えれば、人の支えがあればこそできた話です。

私は仏教の「他力」という言葉(教え)に、関心を持ち学んできました。

他力(TARIKI)ですが、

本人の努力はもちろんですが、その努力する姿が周りに影響して、周りの人も変わり前向きになり、その周りの人の努力が、本人へ良き風(縁をつなぐ)を起こす。〜これを「他力の風」と捉える〜

人生は出会い、

5年ごと人生の変化を振り返ると、まちづくりの仲間は、
熊本地球市民塾、九州平成義塾、環境ネットワーク熊本、熊本学園大公開講座、熊本県立大学公開講座、熊本県つばさの会、熊本アフリカの子供の日、フェトレード熊本、熊本市バス円卓会議、環境共生ネットワーク宇土、宇土の文化を考える会、住吉地域学教室、車椅子街角探検隊inうと、宇土市政を考える会、住吉サッカー教室、熊本県キッズサッカー協議会、宇土フットパス連絡協議会、等々。
が参加したり、主催しました。

今年は、防災士仲間の情報交換の場作りをやろうと思っています。

人生は出会い

つくづく思います。私に残された時間(人生)はどれくらいかわかりませんが、新しい出会いを求めて生きていければ、いいなぁ、と思います。