<窮地脱却>苦難と真っすぐに向き合い、耐え続けなければ、その誠心と信念によって、いかなる剣難も乗り越えられる。〜易経〜

<窮地脱却>苦難と真っすぐに向き合い、耐え続けなければ、その誠心と信念によって、いかなる剣難も乗り越えられる。〜易経〜

『易経一日一言』の4月16日に訓示は、

(以下、本より)

「習坎(しゅうかん)」

坎為水の卦(か)は、非常な剣難の時をあらわす。

人はできれば剣難に陥りたくはないと思うのだが、その一方で、苦しみほど人を育てるものはない。

 この坎為水の卦は別名「習坎」と呼ばれる。剣難の時に繰り返し習うことを意味するこの言葉を先人は畏れ、尊んできたのである。
(以上、『易経一日一言』より)

不幸や苦しみは、続けて起こることが多い。そんな窮地のことを「習坎」というらしい。

また、以下の解説がある。

「習坎」の「坎」は土が欠けると書いて、穴。「習」は習う、繰り返す。つまり、穴また穴に陥らというわけで、苦しみが一層の苦しみを呼び、繰り返さことをいう。
(以上、『易経一日一言』より)

>一方で、苦しみほど人を育てるものはない。

も先人たちの訓示がたくさん残っている。そんな窮地(苦しみ)に陥ったら、その現実に向き合い、誠心誠意を持って対処していく。そうするしか抜けることはできないもの事実です。

嘆くよりも、現実を直視して、分析して、対応策を考える。その根本に誠心誠意がなければならない。

「原子力の平和利用が人間の全ての目標設定と使命を規定するようになると、人間は自らの本質を失わねばならぬ」〜エッセイ『ハーベルーー家の友』(マルティン・ハイデッカー著、1960年)〜

「原子力の平和利用が人間の全ての目標設定と使命を規定するようになると、人間は自らの本質を失わねばならぬ」〜エッセイ『ハーベルーー家の友』(マルティン・ハイデッカー著、1960年)〜

この言葉は、2007年に出版された『世界の名言100選 ソクラテスからビル・ゲイツまで』(金森誠也監修)の一文にある原子力の悪しき影響力の問題を突いていました。ハイデッカーの文章は1960年の作品で、60年以上前のことでした。

現在、ドイツは原子力発電をゼロへ向けて、いち早く進んでいますが、後発の日本、原爆を受けた日本が、逆に福島第一原発事故まで、世界一原発を推進し、輸出製造もしてきました。

そんな中に東日本大震災が発生しました。

科学者たちが、1000年に一度の大津波発生の可能性を東電に提言を出していたのですが、それをまともに受け入れず、福島第一原発事故を招いたのです。

なぜ、この事故は起こったか?

この文章の末尾に以下の言葉がありました。

(以下、転載)

 彼(ハイデッカー)によれば、人が不安と恐れの中で生きているのは何よりも死にかかわる存在だからである。「人はいつか必ず死ぬ」と語る時でも、その人は「さしあたって自分はまだ死なない」と思っているようだ。こうして人は死ぬことを覆い隠し、不安から逃げようとする。(中略)
(以上、本より)

>さしあたって自分はまだ死なない

を読み替えると、「原子力発電所は、最新技術を持つ日本では事故は起こらない」の過信があった。

最近の自然災害は、想定をはるかに超える被害を出し続けていた時期に東日本大震災が発生した。

科学者が予見したのに、"さしあたってそんな津波は来ない"と、被災することを覆い隠す気持ちになっていたのだろう、と想像します。

>人間は自らの本質を失わねばならぬ

さらなる自然災害から事故が発生する前に、地下資源(石炭・石油・ウラン等)に頼らない再生可能エネルギーにどう移していくか、世界の政治の課題になっています。

死ぬ気になると、周り(敵対する相手)の景色が見えてくる。〜近藤勇〜。「野口さん、君はいくつになった?」と聞かれた。私は、「50歳になりました」と答えると、その方は、「50歳になったら、もう命は惜しく無かろう。必死にやるなら付き合おう」

死ぬ気になると、周り(敵対する相手)の景色が見えてくる。〜近藤勇〜

日々毎日を懸命に生きることは、誰しも同じですが、幕末維新の混乱の中で、志士たちの想いはどうだったのだろうか?

これは小説の世界ですが、小説『燃えよ剣』に、近藤勇の言葉として書かれている一文があります。

(以下、本より)

 生きようという念が一分でもあっては、どうにもなりませんな。
 不思議なもので、死ぬきになると、周りの景色、つまり敵の群れのことですが、その虚が見えてきます。その虚へ突っ込むのです。なんのかんの言っても、その一言ですな。
(以上、『燃えよ剣』より)

必死!

という言葉をよく人は使いますが、

ほんとうに"必死"になっているのだろうか?

近藤勇の言うように、一分に生きようとする気持ちが有れば、生ぬるくなる。

13年前、横井小楠顕彰活動をやろうと熊本の先輩方と取り組んだ時、実行委員長をお願いに出向いた時、その重鎮が、

「野口さん、君はいくつになった?」と聞かれた。私は、
「50歳になりました」
と答えると、その方は、
「50歳になったら、もう命は惜しく無かろう。必死にやるなら付き合おう」
と言われ、1年3ヶ月に及ぶ横井小楠顕彰活動がスタートした。大変な事業でしたが、これから横井小楠の情報発信が始まりました。

滑動の影響を受け、2年目の正月、熊日新聞が7ページを使い、横井小楠の功績について特集しました。

要は、なりふり構わず行動し続けられるか、そんな姿を周りが見ていることを、幕末期に活躍した近藤勇も、現代のリーダーたちも知っていたのかもしれません。

<関西の感染拡大で宇土市出身者が急死>今日、地域を回っていて聞いた関西のコロナ感染拡大の話しに言葉が詰まった。

<関西の感染拡大で宇土市出身者が急死>今日、地域を回っていて聞いた関西のコロナ感染拡大の話しに言葉が詰まった。

宇土市の西部地区で、私よりも10歳ほど上の方と語る機会かあり、初めは地域の話でしたが、コロナの話になり、"先月兄が感染確認して4日後に急死した"の話、原因は基礎疾患があったとのことだが、今も感染者の急死は続いていると再確認しました。

急死した兄は、家族の中で、若い息子が感染して家族が感染した。肺の疾患があった父(その人の兄)は、感染確認して5日に回復無く、死亡しました。

兄弟姉妹で、見舞いにも行けず。葬式の香典費用を送るしかなかった、と嘆いておられました。

そのかたのあ奥様が、昨年入院された。病院に行くと、「受け付けで、品物を預けてください」と、言葉は悪いが門前払い(受け付け処理)でした。話は、携帯での会話しかできない状況が、今の医療・介護の施設コロナ対策です。

<5分、3分、1分>時の的を射る「君子は器を見に蔵し、時を待ち動く」〜易経〜

<5分、3分、1分>時の的を射る「君子は器を見に蔵し、時を待ち動く」〜易経〜

短い文章だが、奥の深い言葉です。

【解説】
 この言葉は、不断の修養により、力をたくわえ見につけておき、時が来たら行動するのが良いと教えている。
 いくら良い利器を備え、行動力や才能があったとしても、時の的を外したら何事も成し遂げることはできない。
(以上、『易経一日一言』4月14日の訓示より)

人間には、タイミングの良い人と、タイミングの悪い人がいる。

また勘良く危険を避ける人、避けられない人も見る。

危機管理には、危険な場面・場所の予見や予想している、いないで、危機に遭う確率を下げることができる。

慌てている(急ぐ)時に、交通事故を起こす。

道を決めかねていると、前方への注意力が低下し、さらに側面への配慮が無くなり、接触事故を起こす。

行動にはタイミングがあるのだと思います。そのためには、準備が必要ですし、目的を達するには、心身ともに備えが必要となります。

その目的が、大事業だと知恵を集めて全ての能力を注ぎ込むが、日々のこととなると備えを怠ることも多い。

発言する前に、5分考える。

怒る前に、3分考える(間を取る)。

走り出す前に、1分間車の周りをぐるっと回る。

等々、5分、3分、1分のゆとりこそ、ミスを少なくする。言葉を変えると、目的遂行の「時の的を射る」ことにつながる。

私は、今日何をするか?

10分間コーヒーを飲みながら考えをまとめてから、行動したいとと思います。

<福島第一原発の放射能汚染水の海洋放出は大丈夫か?>人は環境によって育つというのが普通ですが、実は逆で、人が環境を作っていくのです。〜安岡正篤〜

<福島第一原発の放射能汚染水の海洋放出は大丈夫か?>人は環境によって育つというのが普通ですが、実は逆で、人が環境を作っていくのです。〜安岡正篤〜

周り(環境)に影響されるようでは、人間ではない。人は環境を作るからして、そこに人間の人間たる所以である。(中略)
(以上、『安岡正篤一日一言』より)

大丈夫という言葉がありますが、『孟子』の解説書では、自分を失わない芯(心)を持っているか、が大事とある。

ブレない志

ブレない行動

周りに影響されない信条

等々を持っていると、周りに影響されない。

逆にブレない志が、周りに波及していく様子を見る機会があると、安岡正篤先哲の言われる周り(環境)に影響を与える人間の存在を知ることになる。

人を惹きつける魅力は、見方を変えると周りの人に影響を与えている存在となる。

このことが、安岡正篤先哲の言葉にある「人間は環境を作る」ような存在となれるのだと思います。

大丈夫、ブレない志、そして行動する人間・・・

『安岡正篤一日一言』4月13日の訓示は、

人間は環境を作る。

昼前のラジオのニュースにあった「福島第一原発の放射能汚染水の海洋放出を納得しない漁民の方の話」と総理の決断の違い、"大丈夫"の心といえばそうだが、関係する人が納得するような決断ではないように思います。

"人間は環境を作る"

これに値する決断であるか?

後々の人しか分からない、政治的判断と思います。