<老いへの心構え>この世の有様は過ぎ去るからです。〜聖パウロ〜

<老いへの心構え>この世の有様は過ぎ去るからです。〜聖パウロ〜

幸せの時間はあっていいし、その幸福感を味わっても良い。

しかし、それはいつか過去となり、自ら老いを実感した時に、その喜びはなくなります、と。

はたしてそうだろか?

曽野綾子さんの文を集めた『引退しない人生』に以下の言葉があった。

(以下、本より)

「兄弟たち、わたしはこう言いたい。定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人のように、泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようこそすべきです。この世の有様はすぎさるからです」〜コリントの信徒への手紙1 7・29〜31〜
 妻と過ごす生活はを楽しんでもいいのだ。泣くほどの辛いことがある時、泣いてもいいのだ。嬉しさに舞い上がりそうな時、舞い上がってもいいのだ。すべてのことにかかわってもいい。
 しかしそのすべては仮初(かりそ)めの幻のようなものだから、深く心に思わないことだ、と聖パウロは警告したのである。
(以上、曽野綾子著『中年以後』より)

これを紹介した文の冒頭にある言葉は、

>長く生きれば、「得る」こともあるだろうが、それ以上に「失う」ものも多いのだ。それが中年以後の宿命である。

昨日夕方、伯父の家に、酒のつまみを持って出かけた。小一時間ほど、話をしながら酒を飲んで語った。伯父は84歳、伯母は、1年ほど前から高齢者施設に入所していない。なので今は一人暮らし。

語る中で、「隣りも、その隣りも、いなくなった。寂しくなるばかり」とこぼす。「そうね、2人とも頑張ってたね。私もお世話になった」と返した。

月に一、二度は、こんな会話をしながら、酒を飲んで、たわいのない話をする。昼には、伯父の娘や、私の妹が、訪問しては、様子を見(看)ている。

そんな生活を見ていて、昨日見つけた聖パウロの言葉から、老い先短くなって行く、歳をとった高齢者を看る人たちが、みんな感じる思いでは、と読んだ。

人間、生まれてくる時も、死ぬ時も一人である、と仏教の講話で何度も聞く。

>そのすべては仮初(かりそ)めの幻のようなものだから、深く心に思わないことだ、

聖パウロは、人生の楽しみを「仮初」と指摘するが、私は、そうではないと思っている。その楽しかった体験からがあるから、老いての一人暮らしが耐えれるのではないか?と思う。

老いては子に従え、とはいうが、人間そうはいかないなぁ、と伯父と語りながら思った。私も、もし20年元気に生きていれば、伯父の歳になる。年老いていくのは誰しも、これから毎日をどう生きるか、老いへの心構えは大事だなぁ、と思った伯父の晩酌だった。

*参考資料:曽野綾子著『引退しない人生』

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