<政治とは何か>川辺川ダム中止から10年、治水議論(空欄)はありました(会議無し?)から、球磨川水害対策は何もされなかった!〜

<政治とは何か>川辺川ダム中止から10年、治水議論(空欄)はありました(会議無し?)から、球磨川水害対策は何もされなかった!〜残念でなりません。県知事選挙こそ地域課題を議論する機会と思います〜

川辺川ダムを討論した潮谷県政が終わり次期県政を担う知事選から12年、環境保護論議から川辺川ダム中止を、蒲島知事は決断されました。今春の熊本県知事選挙では、コロナ、コロナで、選挙戦も、政策提言もなく、論争無く終わりました。

熊本は、水俣病と川辺川ダム(球磨川治水・利水)が、過去40年の政治課題なのに、両候補の議論がありませんでした。とても悲しい、と選挙直後にFacebookにコメントを掲載しました。

現知事は、荒瀬ダムは解体されました。それから、川辺川、球磨川治水・利水は?

何もなかった!(怒り)

ならば、球磨川治水と河辺川ダム中止、熊本県知事が常に緊張感を持ってやられてきたのか?

疑問に思っています。

人吉の市民活動仲間たちの家々は、1階が水没、ひどいところは2階窓まで泥水が来た!と。

政治は危機管理、何を首長が目指しているのか、今後の検証から、リーダーの政治理念が問われると思います。

政争の中身が大事、政治家目指す姿を、住民、特に河辺川、人吉球磨の人たちとは無縁の論議に、時間を使われ過ぎのだと思います。

政治危機管理が、西郷隆盛が目指していた政治、しかし今の政治は西郷隆盛の理念(質素倹約、敬天愛人)から大きく離れているように思います。

熊本県政は、今どうか?

今回の球磨川氾濫、県民の視点変えるくらい大きな水害と思います。

私は、県民の中に"選挙はない方が良い"という意見を聞きますが、選挙ない地域こそ問題と思っています。政治課題に関心がないところこそ選挙に興味が無い。

日本の課題です。

河辺川ダム中止から10年、治水議論(空欄)はありましたが、球磨川水害対策は何もされなかった!

川辺川ダム中止から10年、治水議論(空欄)はありましたが、球磨川水害対策は何もされなかった!

河辺川ダムを討論した潮谷県政が終わり次期県政を担う知事選から12年、環境保護論議から河辺川ダム中止を、蒲島知事は決断されました。今春の熊本県知事選挙では、コロナ、コロナで、選挙線も、政策提言もなく、終わりました。

熊本は、水俣病と河辺川ダム(球磨川治水・利水)が、過去40年の政治課題なのに、両候補の議論がありませんでした。

荒瀬ダムは解体されました。

ならば、球磨川治水と河辺川ダム中止、熊本県知事が常に緊張感を持ってやられてきたのか?

疑問に思っています。

人吉の市民活動仲間たちの家々は、1階が水没、ひどいところは2階窓まで泥水が来た!と。

政治は危機管理、何を首長が目指しているのか、今後の検証から、リーダーの政治理念が問われると思います。

<ボランティア活動>自分の悪は顕微鏡的に検証、他人の善は望遠鏡的に検証、逆に、他人の善は顕微鏡的に見つけ、他人の悪は望遠鏡的に探す。

<ボランティア活動>自分の悪は顕微鏡的に検証、他人の善は望遠鏡的に検証、逆に、他人の善は顕微鏡的に見つけ、他人の悪は望遠鏡的に探す。

(長文です。お時間ある時にお読みください)

毎日の雨、梅雨末期の大雨被害は、いつ起こるかわかりませんので、降る地域になった時は、とにかく早めの避難行動が大事です。

今また、外の雨が強くなってきました。ちょっと心配な、本日の天気です。

さて、被害はあってはなりませんが、土曜日の熊本県南部の大雨被害は、50人を超える犠牲者と広範囲に計り知れない被害をもたらしました。

洪水被害は、後始末が大変で、私自身も被害を受け、積もった泥を搬出するための泥のかき出しは、真夏暑さもあり大変な作業で、多くの人手を必要とします。

何度か泥出し作業のボランティアに参加しましたが、全国各地からボランティアが集まり、黙々と作業をされます。ほんとに頭が下がります。4年前の我が家の泥出しは、ボランティア4〜6人、5日間かかりました。

このボランティア活動について、色々な声を聞きます。私は、何日も行けるわけではないですが、泥出しのボランティア活動に行った時、そのお宅の状況写真や作業風景の写真は、けっして撮影しません。撮るのは、作業を終えてボランティアセンターに帰った時、グループに参加された方に了解を得て記念写真を撮ります。

中には、グループできて、作業風景を互いに撮り合い、SNSにアップしている人たちを見ると、"私はボランティアに来てます!"と語っているのだろう、と思ったりもします。それについてどうこうは言いませんが、被災者からすれば、どんな印象に映るだろうと考えたりします。

でも、ボランティア活動に興味ない人からすれば、ボランティア=善との見方をすれば、社会貢献することになると思います。

東日本大震災の支援物資集めをし始めた時、ある先輩から、「やらない人たちからは、宣伝と思われてもいいじゃないか、我々は"被災地のために何かやりたい"の思いでやっている。人の影口を気にしないでやろう」と後押しされ、九州から一番早く現地へ物資とボランティアを送り出しました。

本『人生の指針が見つかる「座右の銘」1300』に以下の言葉がありました。

(以下、本より転載)

他の善と自の悪とは、顕微鏡にて之を見よ。そのいかに大なるかを感ずべし。
他の悪と自の善とは、望遠鏡にて之を見よ。そのいかに小なるかを感ずべし。
(以上、清沢満之(作家))

自の悪とほ、下心も含む私欲(悪)を指すものと受け止めます。他の善とは、周りの人の何気ない心遣いに嬉しくなることも含みます。

顕微鏡、望遠鏡、の視点に、"なるほど!"と、納得しました。

私は、人の噂をしている姿は好きではありません。事実を語る、事実を評価する。人は行動してなんぼだと思いますので、時間があれば、これからも積極的に、被災地へボランティア活動に行きたいと思っています。

でも、被災地の状況が、さらに悪化しないことを願っています。お亡くなりになった皆様のご冥福をお祈りいたします。(合掌)