父の歳になって初めて理解する親の考え、~地区遺族会に参加して~

父の歳になって初めて理解する親の考え、~地区遺族会に参加して~

今日は、初めて太平洋戦争で亡くなった遺族会に参加しました。何故参加したかと言いますと、私の父の長兄が太平洋戦争で戦死しています。なので、我が家は遺族の家なのですが、祖父が亡くなり、祖母は100歳まで生きましたが、92歳のとき大病するまで、私が20歳で運転免許を取って以来参拝の送迎しました。

その後は、父とともに参拝し、父が認知症を患い施設に入ってからは、叔母たちと参拝しています。今年の参拝で40回目になります。
地区遺族会の近所の方が熱心に誘われるので初めて参加しましたが、日常からお会いしていましたが、この方も遺族、この男性も遺族なのかと、改めて感じました。

会の冒頭に「なんで参加したか?」を説明し、親父の兄弟3人は海軍で、一番上の兄が戦死、父と叔父の2人は帰国する事ができ、今の私が在ります。

今日参加の方の中には、父の顔を知らない、と、いう方も多く、戦争のむごさをつくづく感じました。

会議の中で、8月15日の県主催の終戦の日の模様しに何人行くかと話し合いがされましたが、これまで毎回出席された方は、体調不良で参加できないと報告されていました。終戦から72年、遺族会も後期高齢者も多くなったと話されていました。

帰宅して昭和の東洋哲学者の安岡正篤先生の訓示録『安岡正篤一日一言』のハ月十五日の言葉は「先考」でした。??

よく読むと、自分の父のことについて、「父の年になって初めて、父が何を考えながら生きていたか、理解できる」と。

安岡正篤先生は、父のことを「考」、「先考」と言われていました。その「考」の意味は、

「亡くなったその父の年になってみると、人の子たるものみなわかることで、なるほど親父はよく考えて、よくやった」、と気づくのだと思います。

戦地で亡くなって、遺族となった子どもは、父の姿も知らない。戦後の混乱期を、父の居ないままに生きて来たことは大変な苦労だったと推察します。
今日の遺族会総会は、懇親会になると普通のカラオケ会になりはしましたが、72年経った現在も亡き父を偲び、共有した苦労話しを語れるのは遺族会しかないのだと思います。

戦争の記憶は遠くなってきましたが、遺族会のご苦労を知る機会として、今後も参加して学ばせていただきたい、と思いました。

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